5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

プッチーニ

1 :屋根裏の貧乏詩人:03/08/13 20:20
オペラの聴かせ所を集めたCD買ったんですが、
 良いのはみなプッチーニなんですね。
トスカ、蝶々夫人、ラ・ボエーム、ジャンニ・スキッキ、
 涙を誘います。


2 ::03/08/13 21:29
プッチ○二

3 :屋根裏の:03/08/14 19:10
今回購入したCDはですね、
ヨーロッパのどこかのオペラ座の観客席を映したものと、
カラスの顔の絵を描いてあるものと、
それとポンタイザーです。

ポンタイザーなんてわざわざ、宵星の歌一曲の為に買ったようなもんなんですよ。


4 :山崎 渉:03/08/15 09:17
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

5 :吾輩は名無しである:03/08/17 20:00
                 , .、...,、      _,..........、
                / ,.、、 `~`ー-'~´,,,- ‐、,ミ:、、
                 /イ/ミ彡`~``ー=ニ'`"''くミ`ゝヾゝ、
            ,/イ彡'´ ,ン゙''゙゙゙'く´   `ヽ、 `ヾミゝ、;: `、
           ,:' ,'/     ;'~`   `    `ヽ、 `ヾ、'; iヽ、
          r' / ,   ,;'  ;、 .、ヽ、 ヽ、   `ヽ、 ヽ、 ;i ヽ
      ヽ、_,..r'彡' ,';,;' ,  ;' ;' ; !ミ; i;ヘ、 ヽ、 ヾ、 ヽ、`ヽ、i、i  ゙i
       ,ゝ''~´,ィ'´/ ,;  ;' ;;i ;' i i`'´1i、ヾ ヽ、 ヾ  ヾ、ヾ;i :; ; i
        / ,イ´;;/ イ /,ィ ,'i ;;i  ; i i  i 'iヾ、ヾヽ ヾ  ヾ、ヾ! ; ; i
        !; // ;;/,ハ ソ i ; i i ;ハ、i;i!i  i i )ヾ、ヾ ヾ ; , ゙i i :; ; i
       ! ! i ; {: i :; i .i ;;i‐ゞトi.!ヾ!`i  i ! ノ _.!.ゝヽ リリ ) ; リ :;:; i
      ヾ、!;i乂ヾ,ト iヘハi ,,;!,,;`ヾ!ヽ、 ,ム-'´_,!,,,`、!リノ リノリi ; i:; i
        乂ヾヽヘヾ八i( (r'`ゞ`   ,;''T;~;i ;)yiノノノ彡' i,' ;','.i
        /へゝゝミ、人ト、_ゞー'゙     ,ゞ;,シ' ハ'´イ i ;./;' i
        /,' / リ : ;:i i :ハ  ""      ""   ハ リ:; ; :レ,/ i   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       /,' ,' ;リ / : :i i :i人   ‘.._      ,.ィ' リ .,イ ;: ;/,イ i <  うるせーバカ
       /,' /,'ノ ,ィ : : i :i !:i i>、      ,ィ´,i'V ,/; ; ./,イ i: i   \_______
      ,/,' ノ,'/,イ i; : i :i !i リ i `>; .. イ,.-'´ 〉ノ,イ ; ;// i ; i
     /,' ,ノ,イ//;i i; :i :; ;i ; リ  i_,)~` ̄´   ,/ ソyー'7ナ゙ー、 ; :i
    ,/,' ,:',イ ;/;/ ゙!y‐'1 ; ;ト--y'´ハ、_,,,...   ,,/ ;'/ i .//  ._ゝ ; i
    /;/,イ :;/;/ yイ   i : リ ,/ ,イ `''  ;;="ノ ;/ / //  / ゙! :i:゙、
    /イ;イ´ :;/,;/,ソ ,;  ノ : ;レ' /|l___,;==" /; / / //..イ    ! :i、゙、
  ,/;イ / , / :;' i  !i i : ;,;i /  @ ̄,.  ,イ;',':;/ / /;' .,;'    ,〉i:i


6 :屋根裏の:03/08/17 20:14
プッチーニの実家は、代々、教会つきオルガニストの家系だったそうです。つまり、
そう、バッハと同じですね。では何故、宗教音楽の道に進まなかったのでしょうか。

プッチーニの生きた時代は、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて。資本主義の初期、
人口増大、貧富の差という、矛盾を孕んだ時代だったんです。こんな時代に置いて、
民衆の救済には、宗教よりも娯楽が有効と判断したのでしょう。

プッチーニの同時代人が、セオドア・ルーズベルト大統領だったという事を忘れては
いけません。貧困への処方が「トラスト退治」であったように、プッチーニの下した
処方は、「つらぬく愛」だったのです。


7 :吾輩は名無しである:03/08/24 19:57
どこが文学なんだ?
音楽系の板に逝ったら

8 :吾輩は名無しである:03/08/24 20:08
トゥーランドット(・∀・)イイ!

9 :吾輩は名無しである:03/08/24 21:24
プッチーニが人民の救済を考えていたとはあまり思えん
(トスカのように、政治的に人民を救済することなら考えていたかも?
しれんが)

どうでもいいが映画・バトルなんとかUのせいで、
ヴェルディのレクイエム(「怒りの日」)がやすっぽく使われて
最近やたらと耳にするので、ひどく穢されたような気がした(まあ
もともとすごく大衆受けする楽曲だが)

10 :吾輩は名無しである :03/08/26 21:13
クラシックのCM流用
 許せるのと、許せないのとが、あるね。
ひどいのは、ネスレ、
 ドビュッシーの夢に、「ネースティー」なんて歌詞つけてんの。トラウマもの。
サントリーも、
 知ったかぶりっこの、ええかっこしいが多い。
コイトのトスカは、
 不通に許せる。
ワルキューレはあちこちの映画で使われているけど、
 1957時点でセリーヌ「城から城」で、おちゃらけた使い方をされているのは、先見的です。
ドイツ貴族が食事中にアカペラでやるんですけど、
 そこはトランペットじゃないとか言われて、ぶち切れて食卓を引っくり返してるの。


11 :吾輩は名無しである:03/08/27 22:21
age

12 :推定少女ファン:03/08/28 08:22
プッチモニと1字違いってだけで

13 :吾輩は名無しである:03/08/28 10:14
>>3
宵星の歌の「ポンタイザー」に爆笑。この板で2週間もツッコミがはいらないのは
なんでだ? 文学ヲタはワーグナーもロクに知らんのか? 小泉ごときに
教養で負けて恥ずかしくないのか? ……などと煽ってみるテスト
ちなみにプッチーニ聴くならカラスよりフレーニあたりがオススメだよん。
ヴェルディは熱血ナショナリズムオペラで世に出たけど、プッチーニには
あまり社会的関心はなかったように思う。そのかわり女性の描き方は
素晴らしくうまい。人妻を略奪婚した人だから恋の諸訳を知りつくして
いたんだろうね。プッチーニのヒロインはみんな生きて血が通っているけれど、
ヴェルディに生きた女が描けたのは自分の奥さんをモデルにしたという
「椿姫」ぐらいか。あと、蝶々夫人のリブレット読んでみ。日本文化への
ふか〜い理解がつたわってきて驚くよ。島田雅彦がネタにしたのも
なるほどもっともと思えるほど。

14 :9=ザンボット3:03/08/28 11:30
こんにちは。
ヴェルディの「熱血ナショナリズムオペラ」って「ナブッコ」のこと
なんですかね?
あれは『行けわが思いよ、金色の翼に乗って』の合唱曲が超有名な作品だけど
群衆劇みたいでいまいち盛り上がりの欠けるどちらかと言えば静かな作品だったな
ヴェルディはどっちかというと静かで理性的なオサーンだよ。
その作風は質実剛健、しっかりした倫理観をもって政治的正義や愛が謳われている。

プッチーニはそれよりもやや通俗的なんだが、彼の音楽は優しくて、甘くて
少しセンチメンタル。けれど大好きな曲がいっぱいある。
『トゥーランドット』も『トスカ』も、劇場で観たことあるし。
シリアスで悲劇性のある、『トスカ』は彼の作品中ではやや異色かもしれないが
トスカはマリオが拷問されているのを見てスカルピアに身を委ねようとする
のだからここでも微妙な女心が描かれている。

俺が好きなプッチーニの曲 (かなり月並みだが ^^;)→
『ジャンニ・スキッキ』:「わたしの優しいお父さん」
『ラ・ボエーム』:「わが名はミミ」
『トゥーランドット』:「だれも眠ってはならぬ」

(反対に『町長夫人』や「歌に生き、愛に生き」はほとんど好きじゃない。)

15 :屋根裏の:03/08/28 19:53
トゥーランドット、
 知らなかったど。

16 :吾輩は名無しである:03/08/28 20:00
プッチモニかと思ってた。
じゃあ、スレ違いだから、コレ。
迅速な削除依頼よろしく。

17 :吾輩は名無しである:03/08/28 20:02
>>12
ゴメソ。かぶった。
つか、見落としてた。

18 :吾輩は名無しである:03/08/28 20:03
”なア 見せてくれへんかなっ?御願い”
もお辛抱できなくなったのか私に恥ずかしそうに頼んで
きました。何ヶ月、一人で濡らしてきかのか今は容易に想像できます。
”絶対音立てたらあかんで!”
もオたまらんのか凄い飛んだ目で頷いた先輩の顔は忘れられません。
ホームルームが終わり先輩にカギを渡し
”押し入れ、空にしてるから中に入っといて”
”・・・誰にも云わんとってな・・・”

先輩に憧れてた彼女には話していたが先輩には内緒に...


19 :吾輩は名無しである:03/08/28 22:14
>>14
「トスカ」は逮捕・拷問・レイープ未遂・殺人・銃殺・自殺と
一気に悲劇になだれ込む、あの疾走感がいいよね。
自分が好きなのは第一幕の「テ・デウム」。荘厳な宗教音楽に
乗せて邪悪このうえない欲望を謳いあげる、そのギャップがたまらない。
スカラ座の三年ぐらい前の上演をBSで観たが、レーオ・ヌッチのスカルピアは
無茶苦茶格好よかった。
「トゥーランドット」は宮崎駿がスカラ座で演出してるね。プッチーニの絶筆で
リューの死までしか本人は作曲してないので、体調もおそらく万全ではなかったのだろう。
「トスカ」のタイトさが嘘のように冗長な部分が多く感じた。特に三人の大臣のくだり
などは全部切りたくなるが、ところどころに神がかり的に素晴らしいところがある。
NESSUN DORMAもそうだし、第一幕のアンサンブルフィナーレ、そしてリューが死ぬくだり
は涙なしに聴くことはできない。タイトルロールは、これはプッチーニの奥さん
(年上妻。召し使いの少女に嫉妬していじめ倒し、自殺に追い込んだ)が投影
されてるせいか、何度きいてもアリアが魅力的だとは思えないのだが。

20 :屋根裏の:03/08/29 19:50
>>19
トゥーランドット?
 宮崎駿? あのアニメの?
  人違いじゃないの?

21 :ザンボット3:03/08/30 00:09
今晩は。
そうねえ、『トゥーランドット』は東京文化会館で、
『トスカ』はサントリー・ホールで観たことあるよ。ご存知の通り、
『トゥーランドット』は聴覚よりもまず視覚的な効果が楽しい作品だから、
ヴィデオ映像などで見ないほうがよい。

たしか『トゥーランドット』は2年ぐらい前に(2001年)、ルーマニアの
国立歌劇団(だったか?)が来た時に演じたのを観た。親の知人がチケットが余っている
ので、オペラ好きの俺に余ったチケットを譲ってくれたのだった(そのせいでめちゃめちゃ
良い席で観れた)。正直あまり有名な演者が出ていたわけじゃなかったが、舞台装置など、
演出が非常に凝っていて俺の隣りに居たおばさんはたしかにリューが死ぬところで泣いていた。

 

22 :ザンボット3:03/08/30 00:10
『トゥーランドット』がプッチーニの絶筆で、第三幕第一場「リュウの死」まで書いて命を
落とし、残りを弟子のアルファーノが補筆して1926年の初演の時には指揮者のトスカニーニ
がその箇所で指揮を止めて、「ここでプッチーニ先生の仕事は終わりました」と挨拶したとかいう
邪魔くさい薀蓄はとりあえずここではどーでもいいような気がする。
俺の好みから言うと、『トスカ』は確かにわざわざ陰惨な場面ばかりを繋ぎ合わせたかのような
作りで、ドラマトゥルギー的には出来がいい(つまり、ムダがない)ように思われるけれども
全体的に見ると登場人物の数が少なく、劇の変化も乏しく、コミカルな要素も持っている
『トゥーランドット』に較べると、妙に古典的で陳腐な気がする。京劇のメーキャップと
ダンスを取り入れた『トゥーランドット』第二幕第一場のピン・ポン・パンの三大臣が登場する
シーンは、俺にとっては作品中でも最も好きなシーンの一つだな。大体オペラはそのストーリー
はもともと誰もが知っていて反復されるものだから、ドラマトゥルギーで観るものではなく
演出で観るもんだと思う。ヴェルディの『アイーダ』でも、ヴァーグナーの『リング』でも
冗長な場面はたくさんある。

第三幕のリューが死ぬところは勿論このオペラの白眉だが、タイトル・ロールとされる
トゥーランドットは実際には脇役に近い(そうでなければリューとともに二人のソプラノが
同時にクレジットされる訳がない)しかしながら第一幕第三場を見れば分かる通り、トゥーラン
ドットという役はプッチーニにはめずらしく、驚異的な高音と技量を必要とされるいわゆる
“ドラマチック・ソプラノ”なわけで、第一幕を観るだけでもそれは堪能できる(しかしながら
実はトゥーランドットにはアリアはない)。
俺もいろいろなCDや映像を併せて見てきたが、例えばエヴァ・マルトンのトゥーランドット
はさすがに貫禄があったな。
 

23 :吾輩は名無しである:03/08/30 02:43
>>20
人違いではないよ。全体的にシシ神の森みたいな感じの、緑っぽい美術の
トゥーランドットだった。しかし三人の大臣のくだりを冗長に感じてしまった
のは、演出に欠陥があったのかも。

24 :ベルカント命:03/08/30 03:23
>>21&22
ザンボット3たん、こんばんは。さっきまでBSのファルスタッフみてたよ。
「トスカ」はストーリーの殺伐っぷりがまるで仁義なき戦いかパルプ・フィクション
だけど音楽が激甘だからちょうどいいように思う。
サントリーホールでの上演は演奏会形式でつか?
「トゥーランドット」は確かに劇場でみるべき作品かも。
そもそもタイトルロールを歌える声の持ち主であれば、必然的にヴィジュアル的に問題の
あるケースが多くなるわけで……。エヴァ・マルトンなら写真でしかみたこと
ないけど、綺麗な人なので問題ないと思うが。
カラフ、ほんとにそれでいいのか?
金と権力のあるお嬢なら根性ワルでもデブスでもいいのか?
百倍はかわいくて気立てもいいリューを捨てるのか?
…などと思いっきり突っ込みたくなるのが難。
劇場でみれば気にならないのだろうけどね。録画だとアップがあるので苦しい。
「アリアは無い」とのことだけど、カバレッタ、カバティーナを持つ、四部形式の
ものがいわゆる大アリア、それはわかるんだけど、「アリア」の定義がいまいち
よくわからない。「カルメン」におけるアリアは花の歌だけ、ハバネラも
セギディーリャもアリアではない、「リゴレット」の女心の歌はカンツォーネ
でアリアではない、とかいうのは感覚でわかるんだけどね。

25 :吾輩は名無しである:03/08/30 09:48
>>23
ごめん。間違いだった。スカラ座トゥーランドットの演出は宮崎駿ではなく
浅利慶太。美術がジブリのアニメっぽかったで誤って記憶してしまった。
プレヴィン指揮、2001年6月のプロダクション。
クリスティナ・ガイヤルド・トマス(リュー)がとてもよかったよ。

26 :屋根裏の:03/08/30 20:05
舞台でオペラ、良いなあ。
 バレエは何度か見た事あるけど、オペラは未見です。
デコレーション・ケーキのような舞台は、
 若い間に一度は見てみるべきでしょうね。
でも、言葉の壁は
 どうやって克服されているのかな。


27 :ザンボット3:03/08/30 21:34
>>24
こんにちは、ベルカントさん。
(ベルカント……?ミーハーな漏れはやはりルチアか、ベッリーニが好きですね。)
そうそう言うの忘れてましたけど、サントリーホールのはいわゆる演奏会形式です。
“ホール・オペラ”と銘打ってホール側は一所懸命努力しているようですが、
本格的な上演には程遠いみたいです。
アリアについては、漏れの記憶違いだったみたいですぅ…(苦ワラ

 

28 :ザンボット3:03/08/30 21:35
>そもそもタイトルロールを歌える声の持ち主であれば、必然的にヴィジュアル的に問題の
>あるケースが多くなるわけで……。

↑そりゃ、あなたの偏見というもので・・・。たしかにベルカントオペラのタイトル・
ロール(ノルマとか)を演じる歌手には恰幅のいい人多いですけどね…。エヴァ・
マル豚は決してブサイクじゃないと思います。
アイドル顔して主役を張ってる、ソプラノ歌手というのもいるもんですけどね…
(たとえば『ラ・トラヴィアータ』をやっていたゲオルギューとか)まあ、オペラ
は別にルックスで見るもんでもないし(漏れはデブ専ぢゃないですよ)。

そういえばBSでよくオペラ中継やってますよねぇ。。たいてい途中で寝るんですが。。
けど『ファルスタッフ』、最高です。年老いてもなお異性に対して自信満々な老ファルスタッフ
が…。(現代日本にも通じる問題だけど、実際に居たらただのセクハラ親爺だとは思うが)
この作品はロッシーニやモーツァルトの軽妙さを思い出させます。国に対する裏切りや不貞、
姦通に親殺し、娘の復讐などを描いてきた重厚な巨匠・ヴェルディが、
この作品を最後に創作をやめてあの世へ旅立って行ったのは、やはり円熟が意味する
ところなのか、はたまたこの作品終幕の「世の中すべて冗談だ」という合唱がよほど
気に入っていたからなのか…
 

29 :ベルカント命:03/08/31 11:36
>>26
屋根裏たん、こんにちは。
オペラの上演は舞台の左右に字幕が出るので言葉の壁は心配ないでつよ。
けど、リアルだと舞台と字幕の位置が離れてるので、オペラグラス使用の場合
疲れることも。今年の三月、東京文化会館の貸し出しオペラグラスで酷い目に。
不良品だったのか、勝手につまみが戻って見るたびにピントが外れてるんだよ〜(泣
マイグラス持参がオススメ。オペラグラスは高いけど、双眼鏡ならディスカウント
ショップで倍率高いのが安く買えるYO!
ムーティのスカラ座、今になって字幕使用決定なんて……(泣
字幕無しってことで「マクベス」見送ったのに。すでに高くて買えない席ばかり。

30 :ベルカント命:03/08/31 12:06
>>27
ザンボット3さんこんにちは。
ルチアと清教徒、狂乱の場だけを比べるなら、自分はやはりベッリーニ
(清教徒)が好きかも。ことにカラスが溜め息のようなソットヴォーチェで
歌うLASCIATEMI MORIRのくだりでは背筋に電流が走りまつ。
サントリーホールの演奏会形式の上演、自分はすごく評価しているのですよ。
きっかけは95年上演「ナブッコ」をCDで聴いたこと。オケと合唱は
日本人だけど非常にレベルが高いでつ。金翼のダイナミズムなんてもう、
ふるえが来るほど。ソリストもグレギーナとブルソン呼んでました。
一度リアルで聴きたいと思って、この四月、ザレンバのカルメン逝ってきました。
いや〜よかった〜。聴きこんでるオペラってこともあるけど、装置なしでも
自分的には全然不満なかったでつ。優先順位をあげると、まず声と音楽、
そして言葉ということになるので。コストパフォーマンスという点からは
とてもありがたいでつ。総合芸術として観てる人には確かに物足りないでしょうけど。

31 :ザンボット3:03/08/31 21:48
>>30
成る程です。ベルカントさん。
ルチーアと清教徒(I Puritani)を“狂乱の場”で比較されましたか。
ぼくはここにマイヤーベーアの「ユグノー教徒」も加えたい。「ユグノー教徒」は
上の二作に較べるとだいぶ大味だが、終結部の聖バルテルミーの虐殺へと至る
緊張度の盛り上げ方は、P.シェローの映画「王妃マルゴ」を彷彿とさせます
(…っていうか、影響関係は逆なんだろうけど (^^; )。
ぼくは「清教徒」はあまりよく聴きこんでないので、ベッリーニといえば「ノルマ」
なんですよね。特に(CDでしか聴いたことはないけど)マリア・カラスの
歌うあのアリア(「清らかな女神よ」、かな?)は驚異的でした。
実はそれまで、マリア・カラスの歌はどこが良いのかいまいち分からなかったの
ですが、「ノルマ」を聴いて多少考えを変えました。まさに歌う巫女の代表であり、
母なる大地を象徴するような圧倒的な声! … 言葉ではうまく表現できませんけどね (^^;
「嵐が丘」みたいな『ルチーア』もきらいじゃないんです。初夜の日に、新婚の
花婿をベッドで殺してしまう血まみれの新婦・・・・というイメージが如何にもゴシック・
ロマンしていて聴いているだけでゾクゾクします。だからベッリーニに対して
ドニゼッティも嫌いじゃないんですよ。何といっても、彼には『愛の妙薬』L'elisir
d'amore があります。テノールが歌う「人知れぬ涙」UNA FURTIVA LAGRIMA はやや
ミーハーで素朴な歌ですが、恋する男の真情がせつせつと伝わってきて心にジーン
と来ますね(つか、こんなこと言っている自分がハズカシィー)
今はお金がないので、CDで我慢していますが、
良い演奏会(or 公演)を見たら教えてくださいね。
 

32 :ベルカント命:03/09/01 02:12

>>31
ザンボット3さん、こんばんは。
『ノルマ』は、もしかして自分の一番好きなオペラかもしれません。
旋律の美しさ、ドラマティックな力強さは、まさにベルカントオペラの最高峰かも。
タイトルロールはペース配分が問題だと言われておりますね。舞台に出ている
時間が長いので、間違えると悲惨なことになるという。
8月にラ・ヴォーチェの公演を観に行って、難役と言われる理由をもう一つ発見
しましたです。コーラスもオケも客席も、全員が静まり返り、固唾を呑んで耳を
澄ましているその中で、ソプラノは第一声を放たなければならないのです。
しかも神とつながる特別な存在であるという、そのカリスマとオーラを瞬間的に
納得させるだけの声と存在感が必要とされる。これはきついでしょう。誰にでも
出来る役ではない、といわれる理由がわかりました。これにくらべれば、酒席の
ざわめきと狂騒の中で、しかもメゾソプラノとの掛け合いから、ごく自然に
役に入っていける『椿姫』などは、なんとプリマドンナに親切な書かれ方であることか
と思いましたよ。どちらもドラマティコとアジリタ、両方の声が要求される役ですけども。
自分が観たのは追加公演の日本人キャストによる『ノルマ』ですが、やはり
出だしの第一声、微妙に音程をはずしてました。プレッシャーが物凄かったのでしょう。
そのあとのアリア(清らかな女神よ)自体は歌い込まれていて良い出来でしたが。
自分としてはマリア・カラスの舞台を観られない以上は誰でも同じ、と思ってるので
(酷い)、外国のソリストでなくてもいいのです。演出(ウーゴ・デ・アナ)は群集処理が派手で、
大道具も移動するし、中々よかったです。衣装は古代ローマではなく、ナポレオン時代の
スタイルの軍服やドレスを使ってました。
カラスの声は非常にドラマティックで表現がリアルなので、プッチーニとなると
いささか強烈過ぎるように思います。ベルカントの様式感で中和されたものがベストというか。
これも好みの問題でしょうけども。
人知れぬ涙はイイ!ですね。

33 :屋根裏の:03/09/01 18:25
盛り上がっているのは良いんだけど、
 なんか最近、話についてゆけないな……

34 :吾輩は名無しである:03/09/01 23:11
ウソウソウソウソ
ウソだらけ

35 :ザンボット3:03/09/01 23:55
>>32
ほう・・・7月末から8月はじめにかけての新国立劇場の公演を
見て来ていらっしゃったと・・・ よくそんなお金の余裕がありますねぇ。
しかし、「トスカ」じゃないんだからナポレオン時代の衣装での「ノルマ」
なんて想像もつかないけどなぁ・・・あれは「ガリア戦記」の時代のケルト人の
族長の話だからねえ。そういう民族信仰みたいな信仰が基盤になければ物語は
成立しないと思うのだが(あるいはただのメロドラマになってしまう?)

ぼくは到底「ノルマ」が“自分の一番好きなオペラ”だとは言えないけれども、
ベルカントの作品の特徴は、物語によるドラマティックさよりも
歌手の歌によるドラマティックさを追及する点にあると思う。
その分、ソリストたちの独演披露会的な雰囲気が濃厚になる(もちろん
これは19世紀前半だからこそ濃厚な傾向なのですが)
「ノルマ」がマリア・カラスによって“復活された”というのは、
カラスのスタイルがあの時代の作品を歌うのに適していたからです。つまり
よく響く高音や豊かな声量、コロラトゥーラなどの美しい装飾といった
個人技的な“超絶技法”の披露の仕方が、あの時代のスコアが要求するもの
と合っていた。しかし僕がカラスがあまり好きではないのは、その登場の仕方
の衝撃の強さなんですよね。舞台上だとかオペラの世界への登場の仕方という
ことではなく。これは各人の好みの問題になりますが、ギャップの大きさによる
メリハリというのは、コントラストをはっきりさせて舞台上のソリストへのスポット
ライトを強烈に浴びせますが、なにか非常に邪魔な感じがするんですよねえ。全体の
アンサンブルを掻き乱す阻害要因というか。だから、といっては何ですが
ぼくはプッチーニの音楽が好きなのです。前にも言いましたが、「トスカ」は
あまり好きではないが「三部作」は好きだし、「トゥーランドット」も良いし、
「西部の娘」すら観てますよw(お話はとってもつまらない)あえて言えば、プッチーニ
若き日の「マノン・レスコー」かな・・・
 

36 :屋根裏の:03/09/02 19:57
>>30
<ことにカラスが溜め息のようなソットヴォーチェで
<歌うLASCIATEMI MORIRのくだりでは背筋に電流が走りまつ。
   ↑
これ、興味深いですね。
いったい、どういう場面、どういう情況のもとで、
 その溜め息のような歌声が聴かれるのでしょうか。


37 :吾輩は名無しである:03/09/02 22:12
>>35
ラ・ヴォーチェの『ノルマ』、4000円の席ですた。(日本人キャストの日だったので)
オケとコーラス、美術に衣装がついてこの価格は決して高くはないですよ、
原価を考えれば。(指揮者の姿は見えない席でしたが・笑)
そもそもオペラの上演に必要とされる費用のうち、チケットの売り上げで
まかなえるのは全体の25%にすぎないらしいです。あとは協賛企業や政府・自治体の
援助そのほかに頼っているわけでして。つまりは常時75%の大ディスカウント。
まあそれはともかく、どこを取っても大好きなオペラの、リアルな音のバイブレーションに
身をひたす至福の3時間余でありました。
『ノルマ』は当初、『メデア』のリメイクとして台本が書かれたとのことですが
ロマン派全盛の時代風潮を反映して、結末がかなり優しく甘くなっているそうで。
まあ、ある意味、メロドラマと言ってもよいかと。二股男の元カノと今カノが
鉢合わせという設定自体、ほとんどロンドンブーツのバラエティです。
しかしどんなドキュンな設定でも泣かせてしまうのが音楽の力というものでして。
カラフもロドルフォもアルフレードもマントヴァ侯爵も、イタリアオペラの
テノール役は考えてみればとんでもない奴ばかりです。
しかし素晴らしい黄金の声を聴けば、すべてを忘れ、許してしまう。

ザンボット3さんは、主に「アンサンブルの魅力」をオペラに求められているのでは
ないですか? プッチーニ作品でも、プリマドンナの力量が出来を左右する
『トスカ』と『蝶々夫人』はそれほどお好きではないのですよね。
まあ、色々な楽しみ方ができるのがオペラというもので、スポーツにたとえれば
監督采配やチームの総合力で勝ち進むというパターンもあれば、一人のスターの
天才にスタジアムがどよめくというパターンもありで、いろいろでしょう。
カラスはまぎれもない天才ですが、言われているほど常に前面に出ていた人でも
ないようで、クラ板のマリア・カラススレッドによれば、ジルダを聴いてみれば
それはわかる、とのことでした。トスカのような歌い方はしていない、とのことで。

38 :サンボ3:03/09/03 00:17
>>37 (あれ?俺はいったい誰に話し掛けているのか…?)

ラ・ヴォーチェ企画の「ノルマ」で4000円の席ですか!それは全然高くないですねえ!
そこでチェックしてみると、今年7月にシチリアから「ベッリーニ大劇場」が東京文化会館で
「ノルマ」を上演した時、S席は2万9千円で、普通席でも1万はしたようです。
で、おそらくご存知かと思いますが今年10月初めに、同じ場所でプラハ国立歌劇場が
「トスカ」を上演しますが、その時のチケット代はS席が2万2千円、A席が1万
8千円、B席は1万4千円で(C席以下もあり)、通常S席で4〜5万すること
さえあるオペラのチケット代からすればお手軽なほうじゃないですか?(ぼくは
演者が日本人だろうがガイジンだろうが構いませんが)ただ、座席の位置ってのは
結構重要ですよねえ?あんまり舞台から遠いと、臨場感に欠けてしまう。東京文化会館っ
ていうのは、席だけでも5階席まであるんですよね。。。
リアルな音の臨場感は、ホールにいればどこでも響くように設計されているでしょうが、
オペラは演劇でもあるので、舞台上で行なわれていることの細部まで見えなければ詰ま
らない。幸い、ぼくが「トゥーランドット」を観た時は1階のセンター席だったので
オペラグラスを使わなくても歌手のメイキャップの細部まで見ることができましたが(
たぶんA席・1万2千円相当の席)。やはりお金を貯めて、「これだ!」っていう
公演のときにチケットをゲットしたいもんです。
 

39 :サンボ3:03/09/03 00:22

>『ノルマ』は当初、『メデア』のリメイクとして台本が書かれた
というのは初耳でした。それは本当なのでしょうか? ノルマは赤ん坊を守る母親の話じゃないか
と思うんだけど。マリア・カラスはいろいろな演じ方のできる人で、たしかに個人技一本の
人じゃなかったのは知っています。しかしねえ… 複数の歌手と合わせて
重唱するのは苦手だったんじゃないか、というイメージはあるんだけどねえ…。たとえば
モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」の最後の四重唱とかね。あるいは「ラ・ボエー
ム」の(ミミはカラスの当たり役だけどw)アパート内やカフェのシーンとかね。
はたまた「フィガロの結婚」での軽い、歌手同士の掛け合いのシーンでも、カラスの
声だけは重く聞こえるような気がするなぁ… まぁ、これはあくまでイメージだけだけどね。
 

40 :ベルカント命:03/09/03 04:10
>>39
重唱が苦手で一流の歌手と呼ばれることはありえないでつよ。
タワーレコードからカラスのライブ音源の海賊版五枚組千円(!)が出ていて
最近はそれを聴いているのですが、『ノルマ』第一幕フィナーレの三重唱など
すごい迫力です(MSシミオナート)。もう、メキシコシティの観客が総立ち、
かどうかまではわかりませんが、まだオケが鳴っているのに万雷の拍手と
ブラーヴィ!の嵐。
アンサンブルというより声の質の問題ではないですかねえ。
カラスの声は、明らかにモーツァルトには向いてません。ヴィヴラート
かかりすぎだし、硬質の透明感を感じさせる声ではないので。
モーツァルトの喜歌劇に向いているのは、そよ風のような、澄んだ水のような
いわば癒し系の声ではないかと思うのですが、カラスの声はいうなれば「炎」ですからねえ。
ミミも、トスカなんかと違って、レジェーロよりの役ではないですか?
『リゴレット』の「慕わしき御名」などは、本当に軽く透明に歌ってるのですが
プッチーニはオケが厚いので、そういう歌い方は不可能と思われます。
それに、オペラにおけるアンサンブルが「調和」とばかりは限らないような。
「バトル」の側面もありますよ。特にヴェルディの場合、いわゆる愛の二重唱よりも
利害の対立する二人、三人、四人のアンサンブルのほうが圧倒的によく書けてる気がします。
『椿姫』のジェルモンとヴィオレッタ、『トロヴァトーレ』終幕のルーナ伯爵と
レオノーラ、『リゴレット』のユゴーも絶賛したという終幕の四重唱などなど。
理性と情熱がつねに葛藤していたと思われるヴェルディの性格に起因するもの
ではないかと。ロッシーニも、いわゆる「愛の二重唱」が大嫌いで極力
書かないようにしていた0Rほとんど書いてない、のどちらかだったと思います。
まあ、それを思えばプッチーニの「愛の二重唱」はどれも素晴らしいですね。
カラスの声で聴きたいとはあまり思わないけど。
『ノルマ』の原作がエウリピデスの『王女メディア』を下敷きにしている件に
ついては、永竹由幸『痛快!オペラ学』(集英社インターナショナル)に書いて
ありました。台本の段階で変更が加えられたようです。ノルマも二人の子供を
殺そうとするんですよね。結局、涙にくれてしまって出来ないのですが。

41 :吾輩は名無しである:03/09/03 14:08
>>36
屋根裏たん、こんにちはでつ。
その場面は『清教徒』のヒロインが政略ケコーンのために恋人との仲を裂かれ
悲しみのあまり気が狂ってしまい、全員が見守る中でさまようところでつ。
O RENDETEMI LA SPEME, O LASCIATE, LASCIATEMI MORIR(私の希望を返して、
それが駄目なら死なせて)のアリアでつね。
似た感じでは、マリア・カラスのプッチーニアリア集、もしお持ちであれば
トスカの「歌に生き愛に生き」の後半の盛り上がるところ、
「ペルケ・メ・ネ・リムネリ・コーズィ(なぜこのような報いをお与えになるのですか)」
のフレーズの終わり「コーズィ」の一語が溜め息っぽい歌い方だったかも。
輸入盤でなくて歌詞対訳がついてる場合、それを見ながら聴くとプッチーニは
もっと泣けるでつよ。


42 :屋根裏:03/09/03 20:53
>>41
ありがとうございます。
 政略結婚で娘が発狂したら、親も泣きますね。

オペラと言っても、
 プッチーニだけではないんですね。

43 :ザンボ3:03/09/03 23:11
>ベルカントさん

そうですね。カラスはモーツァルトの歌劇には向いていないかもしれない。
カラスに相応しいのはやはりベル・カントの時代の作品であり、ヴェルディの
ヒロインだと思います(敢えて言えば、スーパードラマチックな技量が必要と
されるヴァーグナーの作品などもアリかも)。カラスが歌ったモーツァルトの
アリア集の録音もありますが、どうも“有名だから歌った”だけ、という気も
しなくはない。カラスという人は、アメリカで生まれたギリシア人、
ぐらいのこと以外ほとんどその人となりは知りませんが、彼女の全盛期は
じつはスカラ座時代の十数年だけで、本当にみじかいんですね。巴里に移って来た
時にはすでに声法は衰えていたようです。だからこそ、彼女は晩年においても
そのカリスマ性を保つことができたのかもしれませんが・・・

それから、確かにおっしゃるようにヴェルディには‘理性と情熱がつねに葛藤して
いた’という性格はあると思います。しかし彼の場合、巨大で冷たい理性ですけどね。
それがまっとうな判断力によって社会的正義と、正常な性愛関係(婚姻関係)を要求している
のに対して、一方で耐えがたい情欲への熱望や、酩酊に対する希求が分裂して対抗している。
まあ、人間古来からある二項対立ですが。そうした二項対立による葛藤を一番よく
あらわしているのが『イル・トロヴァトーレ」だと思います(これはまさに闘争的なオペラですね)。
例のアズッチェーナによる「炎の歌」(だっけ?)とかもありますしねw
 

44 :ザンボ3:03/09/03 23:14

あと、それから『ノルマ』のソースですが、僕もちょっと手持ちの資料で調べてみました。
僕はてっきりスポンティーニという作曲家が19世紀初頭に、『ヴェスタの巫女』
という作品を書いているので、そっちが起源なのかなと思っていたのですが、
どうやら『ノルマ』の原作はアレクサンドル・スーメ(この人はロッシーニの
『コリントの包囲』の台本も共同で執筆している)という人の舞台用の戯曲(「ノルマ、
あるいは幼児殺し Norma ou l'Infanticide 」)みたいですね。
それでこの人が戯曲執筆時に参照したのは、上記の『ヴェスタの巫女』と、シャトーブリアンが
エルサレムへの巡礼を行なった際に書いた散文叙事詩「殉教者たち」のなかの人物・ヴェレーダ
のエピソード、およびギリシア神話中のメディアの伝説の3つということです。
しかし『ノルマ』の台本作家であるフェリーチェ・ロマーニが、エウリピデスの『
王女メディア』を下敷きにしているとはちょっと考えにくくて、というのはこの神話は
すでにスポンティーニ以前にオペラ化されているからで、最初は17世紀。ルイ14世のために
シャルパンティエがトマ・コルネイユの台本を使って作曲したオペラ作品です。これを
18世紀の終りに大々的に復活させて、パリで大成功を収めたのが、ケルビーニの手に
よるオペラ『メデー(イタリア語ではメデーア)』であり、ベッリーニは間違いなく
この作品、およびその成功を知っていた(意識していた)はずです。いずれにしても、
王女メディアに関して全員が参照しているのは、エウリピデスではなく、エウリピデスを参照した
ピエール・コルネイユ(大コルネイユ=トマの兄)が芝居用に書いた悲劇、「メデー」
となります。(ぐちゃぐちゃ薀蓄スマソ)
 

45 :ザンボ3:03/09/03 23:32

ついでに。『ノルマ』はたしかに征服された後のローマ時代の
ガリアが舞台になっているのですが、19世紀初頭に於いては
ローマの主題=ナポレオン支配下の社会という暗示が効いていたようで、
この作品が書かれた当時(1830年七月革命直後)には作品には暗に
ナポレオン政権下に対する批判が篭められていたようです。ちなみに
A・スーメは王政復古期の御用文学者です。だからラ・ヴォーチェ企画が
「ノルマ」をナポレオン時代の衣装で上演したのは、あながち的外れでは
ないことになりますね

46 :吾輩は名無しである:03/09/04 13:38
>>44>>45
ザンボット3さん、こんにちは。
『ノルマ』の原作(スーメ)に関する御教示ありがとうございます。
イタリア人が作曲したスカラ座初演のオペラが、こんなにもローマを悪者に描き、
ガリアに感情移入しているのが少し奇妙だな、という気はしていたのですが、
その疑問が氷解したような…。ガリア=フランス、ナポレオン政権=ローマ、という
ことなのかもしれませんね。ナポレオンはフランス人とはいえないでしょうし。
ベッリーニはパリ進出を狙っていたわけで、フランス人受けする台本にも特に
抵抗はなかったのかもしれません。蜂起を決意したガリア人の合唱も、思い返せば
かなりの迫力で、もしかしてこういう部分がヴェルディのリソルジメント・オペラに
つながっていったのかも、などと想像するのも楽しいです。
別段『ノルマ』を政治的な作品とは思いませんが、ヨーロッパの19世紀は
どのような分野であれ、政治を抜きに語ることは出来ないのかも。
>>43
『トロヴァトーレ』、好きなんですよ。台本のトンデモ度と音楽の素晴らしさの
ギャップが凄いといわれてますが。キャラクターに全然感情移入できないので、
アズチェーナのオファーがきても断る、という歌手もいたと思います。
ルートヴィヒだったか、バルツァだったか…。
説明のつかないものを情熱とすれば、なるほど、『トロヴァトーレ』はもっとも
スケールが「情熱」に寄った作品かもしれません。ヴェルディは「巨大な冷たい
理性」だけではなく、デモーニッシュな感情の巨大なエネルギーも持っていた人だと
思います。その情熱が、ベルカントの影響をまだ色濃く残す様式感によって
制御されている、中期までの作品に痺れます。スリリングなせめぎあいがたまりません。
逆に最も「理性」に寄った作品が『ファルスタッフ』かもしれませんね。
(アズチェーナのアリアはSTRIDE LA VAMPA炎は燃えて、ですね)

47 :屋根裏:03/09/04 20:12
文学板にふさわしいスレッドになってますね。

48 :ザンボ3:03/09/05 00:50
さぁて、そろそろこのスレも終わりですかね。

>>46さん
「デモーニッシュな感情の巨大なエネルギー」ですか… “デモーニッシュ”
という部分はちょっと疑問符なのですが、なかなかいい表現ですね。
たしかにヴェルディはよく「感情を表現する作曲家」だと言われるのを耳にします。
しかしあえて僕がヴェルディを“理性の音楽家”だ!と言ったのは、
ヴェルディの音楽を聴くたびに、いつも僕は「同時期にはもっと拙劣な音楽家もたくさん
居ただろうに、なぜヴェルディの音楽はこんなにも流麗で古典的(クラシック)な意味で
完成しているんだろう!」という疑問を抱くからなんです。単に“聞きやすい”という
ことではなく、深い感情を湛えながらグロテスクに走ることなく、根本的に人の心を
掴むところを持っているこの音楽はいったい何なんだろう…? という疑問が心から沸く
からです。実はさっきまで『トロヴァトーレ』をCDで聴いていたのですが、第三幕の
終りにマンリーコが歌う勇ましい出陣の歌(だっけ?)「見よ、あの恐ろしい火を」
という有名な曲があるんですが、あれは勇ましいはずなのにほとんど軽快とも言える
高音とリズムを持っている。あれは一体何なんだろう?

49 :ザンボ3:03/09/05 00:56
というわけなんです。
これまたよく『トロヴァトーレ』は話の筋がめちゃくちゃだと言う人も居るんですが、
僕からすればあれは音楽の構造物としての合理性を通すために、ストーリーの
合理性を犠牲にしたという印象がするんですね。たしかにヴェルディは「感情の巨大な
エネルギー」を持っていたのだろう、しかしかれはその感情に振り回されて支離滅裂に
なったり、グロテスクに走ることはなかった。一方でそれを完成された精妙な音の構造物
へと構成しなおすことができたのは、そうした巨大な感情エネルギーをメトリゼ(統御)
することのできた、さらに大きな“力”を持っていたからだろう、というのが僕の見立て
なんです。だからヴェルディは感情一本やりの作者ではなくて、むしろ理性的な作家だろう
という事が言いたかったわけですね…

50 :ザンボ3:03/09/05 01:02
46さんは誤解されているようなので、上記のもう一点。
ぼくの説明が良くなかったのかもしれませんが、『ノルマ』が
ナポレオン政権下の社会を“批判している”と言ったのは、アレクサンドル・スーメと
いう人が王政復古期に非常に社会に適合した“文化官僚”だったことに由来しています。
調べてみれば分かりますが、A・スーメはナポレオン時代にはボナパルティストで、
復古王政下では王党派となりぐんぐんと出世していき、この時代には多くの戯曲や
オペラ台本を書いているのですが、1830年に七月革命が起きて、シャルル10世が
イギリスに亡命してしまうと一挙にかれの権勢は失効してしまい、それから十年間
ずっと沈黙を守ったままになります。それから10年ほどしてから(1840年)
自伝的な内容を持つ「La divine epopee, 2 vol.」という作品を発表するのですが、
潜伏する直前のこの時期(1831年)に王党派が持つボナパルティスト(共和政派)
へ対する忸怩たる想いを書いたのが、『ノルマ』だということです。

51 :ザンボ3:03/09/05 01:11

ベッリーニがナポレオンに対してどういう考えを持っていたかはちょっと分かりませんが、
ナポレオンがイタリアを小国に分けて傀儡国家に仕立てて統治していたことを考えると、
『ノルマ』を“ナポレオンに支配された時期のイタリア”を暗示していると
考えることができるのではないかしら、と思う。ヴェルディの言う、“リソルジメント”
というのも他国から占領されたイタリアの国土を回復し、国家統一を成し遂げよう
ということだから、それと当たらずとも遠からずです。まず、ベッリーニが“フランス人に
受ける”オペラを作ろうとしていたとはちと考えにくいです。
(全然まとまっていなくてスマソ)

52 :屋根裏:03/09/05 20:04
今のフランスって、かなりいけ好かない国になってませんか?

ドイエvs篠原戦
ムルロア環礁核実験
植民地時代への無反省
ブランド=詐欺的商法への依存

今のフランスの貧乏人は、プライドを失っていると思うんですよ。
どんな国の国民も、愛国心と、プライドを取り戻すべきです。
その為にも、ナポレオン、ジャンヌ・ダルク、大小の革命には
 頑張って貰わねばならないのです。


53 :ベルカント命:03/09/07 15:38
ザンボット3さん、こんにちは。レスが遅くなってすみません。
ここが落ちたらクラ板のマリア・カラススレッドあたりに移動しようかとも
思ってますが。
>>48
>マンリーコが歌う勇ましい出陣の歌(だっけ?)「見よ、あの恐ろしい火を」
>という有名な曲があるんですが、あれは勇ましいはずなのにほとんど軽快とも言える
>高音とリズムを持っている。あれは一体何なんだろう?
ほんとに、あれは一体何なんでしょうね。私もあの曲は大好きです。聴くと燃えます。
イタリアオペラのテノールに与えられたものとしては屈指の名曲と思いますが、
それが「恋人」(レオノーラ)ではなく、「母親」(アズチェーナ)への想いを
歌ったものである、そのあたりに『トロヴァトーレ』を読み解く鍵がありそうです。
>>49
>あれは音楽の構造物としての合理性を通すために、ストーリーの
>合理性を犠牲にしたという印象がするんですね。
「音楽の構造物としての合理性」を「感情の真実」に置き換えれば、そのまま
同意できますです。優れた音楽は表面にはあらわれない、心の底の真実をこそ
語るものでしょうから。私の読みをぶっちゃけて言ってしまえば『トロヴァトーレ』は
母子の、禁じられた愛の物語ということになります。
(元々本当の親子ではなく、血はつながっていませんが)


54 :>>53より続く:03/09/07 15:40
その意味でアズチェーナを「老婆」として演出していたスカラ座のプロダクション
(2001年?:リチートラ、ヌッチ、フリットリほか)はやはりトンデモとしか
見えませんが、2002年コヴェントガーデンの演出には、非常に整合性があります。
若く美しいメゾソプラノをアズチェーナにキャスティングしていたので。
(正直、レオノーラ役のソプラノより若くて美人だった)
母親がとらえられた、と聞くやマンリーコは恋人のレオノーラを放りだして
救出にまっしぐら、その時に、あの炎のような「見よ、恐ろしい火を」が歌われる。
マンリーコがレオノーラに向けて歌う吟遊詩人風の愛の歌は、なるほどロマンティックで
非常に天上的で美しいものですが、それ以上にデモーニッシュで激しい、しかも
真のエロスを感じさせる音楽が母親に向けられたものである、そのあたりにヴェルディの
本音があるのではないかと想像してしまいます。『トロヴァトーレ』作曲当時、
ヴェルディが愛していた女性はスカラ座のかつてのプリマドンナ、ジュゼッピーナ・
ストレッポーニ、しかし彼女には何人もの男性との過去があり未婚の「母」でさえあった。
古風なヴェルディの道徳観からすれば、結婚するべき相手は無垢な乙女でなければ
ならないのに、ジュゼッピーナへの愛は断ち切れない。その葛藤がやがて次に
書かれる『トラヴィアータ』で最高の結実を見せる、こう考えると私の中では
すっきり筋がとおるのですが。
作曲家のエピソードや人間性を知ると、さらにその音楽が好きになります。
ワーグナーのような神々の世界ではなく、時として下世話でしかも不器用にしか
生きられない、そういう「人間」の世界を描いていること、そこがイタリアオペラに
惹かれる理由でしょうかねえ。いや、基本的にワイドショーの世界なんですが。

55 :吾輩は名無しである:03/09/08 19:12
age

56 :サンボ3:03/09/09 02:54

 えーと、そうですねえ。まっとうに考えて、伝統的に『トロヴァトーレ』の
アズチェーナを「老婆」のフィギュアを使って描くことはごく普通のことであって
(僕が観た公演映像もそうだった)むしろ“若くて美人”に描くほうが「トンデモ
解釈」のような気がするんですが…。というのは、1.母親を老婆として描いた
としても、息子(マンリーコ)の母に対する愛情が翳ることはないだろう、ということ。
むしろ年老いた老女として描かれていた方が、母に対する思慕の強さを印象付ける
ことができるのではないかと思う。若い美人よりも、弱々しい老人を助けに行く
方が切羽詰まった感じが出ていいでしょ? そう思いませんか?

2.アズッチェーナというのはこの作品ではほぼキーとなる人物で、さらに
「ジプシー」なんですよね? しかも先代の伯爵によって自分の母親を殺された
怨みをいまだにしつこく持っている女で、いつか伯爵への復讐を果たそうという
復讐心に取り憑かれた一種の巫女というか魔女なんですよ。第二幕の最初に、
彼女が仲間とともにジプシーの歌(いわゆる“アンヴィル・コーラス”)を
歌う場面がありますが、あれは焚き火の火を前にして歌われます。彼らは一種の
呪術信仰者であり、だからさらってきた伯爵の子供を火炙りにしたりするんです。
だから、アズさんはジプシーの巫女として外見は異質(異様)な方がいい。

 

57 :サンボ3:03/09/09 02:56

 さて、この作品の背骨にあるのはこのアズチェーナの持つ復讐心なのであって、
物語の最後には、ルーナ伯爵が自分の捜していた実の弟を自らの手で殺してしまう
(火炙りにする)ことによってあたかもアズチェーナの復讐が成就したかのように
事態が進行するわけです。しかし、それじゃあなぜアズさんは、にっくき伯爵の
実の子であるマンリーコを“自分の子供”だなどと偽って何年も育てたりしたのか、
とか、早く殺してしまえばよかったのに、などと理解しがたい点が多々出てくるん
ですよねえ…。で、おそらくこれに対する説明としては、たとえば彼女は実子を
喪って寂しかったからだとか、マンリーコを使って伯爵の邪魔をさせる気だった、
などが考えられ得るけれどもそこらへんがこのオペラの話の筋が“トンデモ”だと
言われる箇所なのです。
いずれにしても、アズの復讐は成就したかのように見えてじつはジプシーたちは
全然恩恵を受けていないし、アズチェーナは仇とは言え、自分が手塩をかけて育てて
きた子供を喪うわで、一体彼女は何がしたかったのか?、とさっぱり分からず
仕舞いなわけです。
 まあ、だからここには明らかに以前の作、『リゴレット』の反響があると言える
わけで、つまり『リゴレット』における最も一般的な教訓、「過度の復讐心は人を
不幸にする」というのがこのオペラでも生かされており、客観的に見ればその教訓を
二番煎じで生かそうとして取り上げて、中身を盛りだくさんにしようとした結果、
ストーリーが破綻してしまった、というのが実情のような気がするのだが… どうなんでしょ

 

58 :屋根裏:03/09/09 20:45
興味深いお話ですね。

西洋貴族にジプシーが絡むお話の原点は、
 そういう所にあった訳ですね。
オペラと言うと、ただ単にセリフに節つけてるだけだと
  思っている人も多いけど、
 ある種の物語の原型が現れる場所でもあるんです。
そう、音楽と融合した時に、
 言葉は最高度の劇的空間をはらむ。
その意味では、
 オペラは激しく文学板で語られるべきなのです。


59 :吾輩は名無しである:03/09/11 20:59
…やっぱり>>53-54のあなたの論説には不可解な点がかなりの部分であるなぁ

何でもスキなことを書けばいい、ってことじゃないと思うんだけど。もちろんw

60 :吾輩は名無しである:03/09/30 23:56
このスレってもう終わりなんですか?

61 :吾輩は名無しである:03/12/17 21:57
まだまだ終わらん

46 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)