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浅尾大輔・佐藤智加・中村航・中村文則・森健

21 :17:03/12/19 11:12
>>19
ちょっと意地悪なレスだった(とくに君の良識的なレスがその思いを助長する…)
中村文則は「銃」も「遮光」も読んでる(つまり全作品だ)けど、そのふたつは
同じ主題を変奏しているようなところがあって、いま回顧的に考えてみても
それらの小説が手元にないので、あの挿話は「銃」のだったか、あるいは「遮光」
のだったか、わからなくなってしまってるんだが、「銃」のラストは僕はけっこう
よかった。なにか最後に予定調和を拒んだようなところが。
しかし、読んだのが半年ほど前とはいえ、僕がこのふたつの小説の細部を思い出せなく
なっているのは、中村文則の小説にいつもどこか物足りなさを覚えていたからでもある。
だから今回の「蜘蛛の声」が、あいかわらず彼のサルトル的な自己と対象への関心を
みせながらも、物語の広がりにおいて新しい可能性をみせているのが読んでいて快かった。
ただ前のレスで書きたりない、といったのは個々のエピソード(たとえば彼の社会生活、
通り魔事件)がまったく安易なかたちで物語に導入され、消化されてしまう、といった
ところで、これは単純にもっと書きこめば解決する問題だと思われる。
カミュに偏愛をみせる中村文則はこの小説を「異邦人」のように第一部(社会生活)、
第二部(社会生活からの脱落)という構成にしたかったにちがいなく、「蜘蛛の声」
にはそれを実現することのできる可能性があるが、そのためにはもっと細部を書きこんで
いかなければならないだろう。
ただ君がいったように社会から脱落する人間に「現実味」があったのことには同意する。
じっさいそれは平野啓一郎の「最後の変身」がほとんどステロ・タイプの、紙細工の人形
のようなうっすぺらい主人公しか書けなかったのにたいし、中村の脱社会的な青年には
いつもリアリティがある。それは平野にとってそういう人間は客観的にしか見られない
他者であるのにたいし、中村にとってのそれはまごうことなき自分自身であるから
だろう。むろんそれがふたりの小説家の優劣を決めるわけではなく、その観点からいけば
いままで自分しか書けなかった中村はきわめて想像力のない作家だともいえるわけだけど。

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