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技術スレ

1 :名無し物書き@推敲中?:03/05/29 02:28
小説の書き出し「それはある日の午後だった」というような苦しい出だし
でなく自然にするにはどうすればよいか。さらに章の始まり、場面転換の
始まりの描写など。場面転換を情景描写で書いても何度も繰り返すと
不自然。さらに人物の台詞が連続する場合あまりにも混乱すると
「○○は言った」を多用するブッサイクな作りになってしまう。もしくは
語尾に「にょ」とか「俺、漏れ、オラ」などで書き分けるのか。
どんなものにしても一度や二度程度なら自然に誤魔化せるが頻繁に場面転換
したり人物の台詞が多い場合の自然な誤魔化し方スレ。

232 :名無し物書き@推敲中?:03/10/13 02:18
巡回登録してるから俺だけ告知不要。

233 :名無し物書き@推敲中?:03/11/19 20:35
ほしゅ。


234 :名無し物書き@推敲中?:03/12/01 02:32
ほしゅage

235 :名無し物書き@推敲中?:03/12/04 12:29


わくわく
        ……まだかな

     どきどき

236 :名無し物書き@推敲中?:03/12/10 21:22
(言 言)
 (口)

E・Tが保守しまつ

237 :名無し物書き@推敲中?:04/01/02 23:31
保守しとくか。

238 :名無し物書き@推敲中?:04/01/10 22:58


239 :名無し物書き@推敲中?:04/01/12 19:57
久しぶりにあげとこう

240 :名無し物書き@推敲中?:04/01/14 21:53
漏れもあげとくか


241 :名無し物書き@推敲中?:04/01/15 04:58
漏れはsageてみるか

242 :名無し物書き@推敲中?:04/01/15 17:01
じゃ、あげてみる

243 :名無し物書き@推敲中?:04/01/15 20:35
弄ぶな……1さんも忙しいのだろうから。
きっと、いつか帰って来るよ。

244 :名無し物書き@推敲中?:04/01/16 04:55
追悼sage.

245 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/18 07:00
 長い間ほったらかしで、ほんとにすみませんm(__)m

 しばらく離れていたら、なんだか気が抜けてしまったのと、家出しておいて
のこのこ実家に戻るような気恥ずかしさみたいなものがありまして、辛かった
んです。いやはや小心者の甲斐性なしと笑ってください。

「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也」とは芭蕉の言葉ですが、
この数ヶ月、善くも悪くもなにが変わりなにが変わらなかったのか。人が変わ
ればまた文も変わると思います。小説は技術の巧拙というシステマチックな読み
方ができますが、文の色はやはり心ではないでしょうか。どちらも大切な事だと
思います。私の文調も多少変わるかもしれません。
 さて、このまま終わってしまってはまさに黙説の悪しき実例となってしまうので、
残りの技術もきちんと始末をつける所存です。バリバリ書くというわけにはいきませ
んが、どうか細長い目でみてやってください。

246 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 10:56
うわーん。教授帰ってきたー。。・゚・(ノД`)・゚・。

247 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 13:22
>>245
おかえりー。
楽しみにしてました。
またよろしこ。

248 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 13:24
うれしい!
おかえりー!
1さんドゾー ( ・∀・)つ且~~

249 :名無し物書き@推敲中?:04/01/18 20:29
今後のご活躍を心よりお祈り致します。

250 :名無し物書き@推敲中?:04/01/19 00:08
>245
俺の迸る愛を受け取ってくれ!

251 :名無し物書き@推敲中?:04/01/19 20:52
待っていた甲斐がありました。

252 :名無し物書き@推敲中?:04/01/22 07:14
 皆さんありがとうございます。
 続きは今日か明日にはアップ出来る予定でいます。私のような無能の戯れ言を、
辛抱強く待って頂けているとは思っていませんでした。もうすっかり荒れ果てて
いるものと覚悟していたのです。
 保守してくださった方、また続きをじっと待っていてくださった方に改めてお礼
を申し上げます。どうもありがとうございました。最後までがんばりますよ(・∀・)

253 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/22 07:15
おっと、トリップ入れるの忘れてました(汗

254 :名無し物書き@推敲中?:04/01/22 23:57
体育座りでお待ち下さい

255 :名無し物書き@推敲中?:04/01/23 01:45
(。_。)うん。

256 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:08
 余情とは何かと問われれば、なんだか分かりにくい。しかし、なんだか分かり
にくくても、どんな感じかは分かるような気がする。「余情がある」と言えば、
まず褒め言葉だと思っていいだろう。
 私たちはこの余情感を感動のひとつとして捉えているとみていい。余情からう
ける感動は、ハリウッド映画によくあるような熱のこもった激しいものとは質を
異にする。
 辞書を引けばなるほど、余情とは何かと、無駄のない筆致は役所のごとしである。
 しかし、いかにすればその「しんみりとした美的印象」やら「言外の情趣」
が醸し出せるのか。どのように書けば人は余情を感じやすいのか、いくつかの例を
示ながら解説してみたい。

257 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:13
 まず、一連の文章から受ける情景やその背景に、読者がどれだけ感情移入して
いるか、という部分にポイントがある。
 私は>>81 の『クレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲』を観た感想で、一部で騒
がれるほどの懐古趣味に感じ入ることはなかったと書いた。そうしたノスタルジック
な事物を「知っている」ことと「体験している」ことには、大きな隔たりがある。
その差が、そのまま作品への感情移入度に反映したとみていいだろう。懐古趣味の
感動を支えているのは、体験的イメージに依るところが大きい。
 このイメージの効果をよく表しているのが、『夕焼け』>>65 の詩であった。今一度
読み返してみて、どうだろう。情報は決定的に少ないのに、印象は返って鮮明になると
いう詩ならではの趣が発揮されていると思う。これは電車内や夕焼けといった日常風景
だからこそ、読者はそこに共感しつつ書き込まれていない情報を印象で補完するのであ
る。この黙説の手法に注意してもらいたい。そして、この詩の読後感を言葉で表すならば、
「しんみり」という表現を用いてもなんらおかしくはないだろう。
 余情が生成される要素として、感情移入と印象があり、そこに黙説の空白が加わること
で読者に言い難い複雑な情感を呼び起こす。と、言い切れないところにめんどうくささが
あるのだが、強い傾向性をもっていることだけは確かである。

258 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:15
 さて、これだけではなんだか分からないので、『千と千尋の神隠し』をまたまた
例として取りあげたい。ちなみにフランス語のタイトルは『Le Voyage de Chihiro』
で、「千尋の旅」とそのまんまであるが、こちらの方がより内容を浮き彫りにしてい
ると言えるかもしれない。旅とは出会いと別れ、自らを省みる人生の縮図という見方
もできるし、その響きにはどことなく感傷的な影さえちらつく。情に訴えかけるには
申し分ない舞台装置なのだ。さすがフローベールを生んだ国であると、褒めておいて
いいのだろうか。

259 : ◆YgQRHAJqRA :04/01/24 01:30
 当然まだ続くのですけど…最後のほうは書き上がってるんですが、
中盤がどうもいまいちで、ん〜また明日あたりのアップになるかも。
 ちょっとしんどい(^ー^;

260 :名無し物書き@推敲中?:04/01/25 13:12
再開講義第一回目は、余情感ですか。
余情感を出せるかは、自分自身の一つの目標でもあります。
っていうか、自分だけに限りませんね(w
お願いいたします。

261 :名無し物書き@推敲中?:04/01/25 23:20
ボヤージ

262 :名無し物書き@推敲中?:04/02/04 15:25
ry

263 :名無し物書き@推敲中?:04/02/14 15:41
p@poj

264 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:16
>>262
あはは、うまい。やられましたw

お待たせしました。つづきです。


265 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:20
 余情が最も強く表れるのは、主に作品の終結部においてである。
「けして振りむいちゃいけないよ」「さあ行きな、振り向かないで」
 映画の終わり近く、千尋を見送るハクのこのセリフはいったいなにを意味するのか。
すぐに思い浮かぶのは、主人公に対しての制約とペナルティという筋書きで、これは
民話や伝説などの物語でよくみられる形式である。卑近な例でいえば、浦島太郎の玉
手箱、シンデレラの12時の鐘、走れメロスの暴君との約束などがあげられるだろう。
 もし千尋があそこで振り返ったとしたらどうなるのだろう? ソドムとゴモラの滅亡
を見たロトの妻のように、塩の柱となって死んでしまうのだろうか?
 結果として、なにか土壇場でイベントが起こるようなプロットをみせながら、千尋は
何ごともなく元の世界へと帰っていく。これといった伏線もなく、わざわざ振り返るな
という制約を設けた意図はどこにあるのか、ここで分析したみたい。
 余情を生むための要素として、印象と感情移入、そして黙説が大きな役割を果たして
いることは先に述べた。かなり大雑把で抽象的要素だが、細かな点はあとで書くことにする。

266 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:22
 このシーンでは、まだなにか有りそうだという期待感を煽っているところがミソだ。
いわゆるどんでん返しへの布石であるような予感が、「ああ、もう終わりだな」と、
作品から離れかけてゆく観客の心をまた惹きつけるのである。途中、千尋は振り向く
ようなそぶりをみせるものの、物語の流れがここで変わることはない。つまりなにも
起こりはしないのだ。
 そして、千尋の一家がトンネルを出て車で去っていくそのあとに、まだなにかエピ
ローグがあるような淡い期待(構成的な振り向き)をまた裏切るように、映画はそこ
でふっつりと切れてエンドロールとなる。さらにそこへ木村弓の歌う切なげな主題歌が
かぶさり、美しい彩りを添えるという寸法だ。
 スクリーンに吸いついていた観客の意識はここで唐突に引き剥がされる。黙説の最大
効果である不確定感は、映画に深く没入していた観客ほど強く感じられ、その語られぬ
空白に余情は拡がっていく。もはやそこは言葉の領域ではなく、一様でもないために明
確な説明をほどこすのは難しい。人によっては余情という言葉でかたづけられないほど
の複雑な情感を訴えるかもしれない。逆にいえば、容易に言葉へと置換できるようなも
のから、余情が生まれることはないとも言える。

267 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:24
 さて、構造的な視点でラストシーンをみた場合、どのような解釈ができるだろう。
 やはり千尋は現実を生きるのであって、あれからまた油屋の世界を訪ねることは
ないし、またハクに会うこともない。きっとまた会えると約束するのも、最後に千尋
を振り向かせないための方便にほかならない。なぜなら、もう川が埋め立てられて
いることを知っているのだし、構造は観客の期待を裏切るかたちで、なにも特別なこ
とは起こらないと示しているからだ。
 また、最後に一瞬写るあの髪留めは、ファンタジーによくある実は夢じゃなかった
という暗喩とみるよりも(そのオチも含んではいるが)、現実を生きる力を獲得した
証なのだ。映画冒頭の、気力のないだらけた少女ではなくなっている点をみればよい。
そして映画の終わりと同じく、観客もまた現実を生きなければならない。それがあの
ラストシーンの意義であり、黙説の最大の焦点であるように感じられた。
 『天空の城ラピュタ』や『もののけ姫』のようなスペクタクルロマンとはまったく
性格の違う詩情性に作品の眼目があるのだ。観客をぐいぐいと惹きつけて、どっぷり
と感情移入させておき、最後の最後でスッと突き放す。
「さあ行きな、振り向かないで」
 これは千尋だけでなく、観客にも向けて発せられた作者の言葉であるように思う。
作品は虚構なのだ。けれどもそこから受ける感動は嘘ではない生きていく力になる。
それで十分ではないかと、その憎らしい演出に私はいたく感心した。これは既存の
商業アニメに対するアンチテーゼなのである、といったら少し大げさであろうか。

268 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/14 18:30
 まだつづくんですね、これが。
 映画だけじゃなんなんで、小説の例も取りあげたいと思います。
 またお待たせしてしまうかもしれないけど……。

269 :名無し物書き@推敲中?:04/02/16 11:16
uy

270 :名無し物書き@推敲中?:04/02/16 11:34
>>1さん乙です。

271 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:11
>>269
できればsageでお願いします。

>>270
私は1さんではないです。スレを立てたのほかの人で、私はそこに便乗
しただけなんです。今じゃほとんど私だけで進行させてますが(笑
スレを立ててくれた本物の1さんに感謝。

では、つづきです。取りあえず「読者」の技術はこれで終わりです。

272 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:12
 小説作品では、宮本輝『螢川』の終結が印象的なので、ひとつ余情の例として
取りあげてみたい。
 約80ページほどの短編なので立ち読みでも読みきれる分量だ。技術的に学べる
ところも多いので、暇があったら読んでみて欲しい。頭から通読すれば、この場
面をより深い感嘆をもって迎えられるのではないかと思う。


273 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:18
 夥しい(おびただ)しい光の粒が一斉にまとわりついて、それが胸元やスカートの裾から中に押し寄せてくる
のだった。白い肌がひかりながらぼっと浮かびあがった。竜夫は息を詰めてそんな英子をみていた。螢の大群は
ざあざあと音をたてて波打った。それが螢なのかせせらぎの音なのか竜夫にはもう区別がつかなかった。このど
こからか雲集してきたのか見当もつかない何万何千万もの螢たちは、じつはいま英子の体の奥深くから絶え間な
く生み出されているもののように竜夫には思われてくるのだった。
 螢は風に乗って千代と銀蔵の傍らにも吹き流されてきた。
 「ああ、このまま眠ってしまいたいがや」
 銀蔵は草叢(くさむら)に長々と横たわってそう呟いた。
 「……これで終わりじゃあ」
 千代も、確かに何かが終わったような気がした。そんな千代の耳に三味線のつまびきが聞こえ
た。盆踊りの歌が遠くの村から流れてくるのかと聞き耳をたててみたが、いまはまだそんな季
節ではなかった。千代は耳をそらした。そらしてもそらしても、三味線の音は消えなかった。
風のように夢のように、かすかな律動でそよぎたつ糸の音は、千代の心の片隅でいつまでもつ
まびかれていた。
 千代はふらふらと立ちあがり、草叢を歩いていった。もう帰路につかなければならない時間
をとうに過ぎていた。木の枝につかまり、身を乗り出して川べりを覗き込んだ千代の喉元から
かすかな悲鳴がこぼれ出た。風がやみ、再び静寂の戻った窪地の底に、螢の綾なす妖光が、
人間の形で立っていた。


274 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:21
 情と景が渾然となっているような文脈である。まず銀蔵のセリフを境に、上段の
竜夫と同級である英子のいる川べりの場面と、下段の千代と銀蔵のいる土手の場面
における印象の類似性がある。
 螢の大群が立てる波のような音、英子の体に群がる何万という螢、それを息を詰め
て見る竜夫の驚き。千代の耳に聞こえる三味線の音、覗き込んだ川べりに立つ人形
の螢光を見、かすかな悲鳴をこぼす千代。
 それぞれの場面を描いた一連の文脈は、乖離すことなく読者のなかで混じり合い一体
となって最後、螢と人間のキメラとなって静かに闇にたたずむのである。千代と竜夫の
見るこの唖然とする情景は、そのまま読者の見たものとなるのだ。
 作者はしかし、千代の聞いた三味線のつまびきや銀蔵が呟いた終わりとは、螢とはな
んであったのか、その答えを明らかにしてはいない。
 もちろんこれを魂や命の抽象化であるとみるのは容易い。しかし、そうした安易な答
えに収斂してしまうことを拒むような、底の知れない感触がこの世界にはある。
 そして闇のなかに取り残された読者は、いつしか無数の螢のひとつとなって、得体の
知れぬこのキメラに吸い込まれていくのだった。

275 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:24
 余情を生むための仕掛けとして、雨や雪などの自然物はかなり利用価値の高い
小道具である。こうした道具を使う場合、なるべく周知な、イメージしやすいもの
を選ぶといいだろう。上記の小説では、タイトルにもなっている螢が強力な役割
を果たしている。
 もちろんこうした道具を単独で使ってもあまり効果はない。できれば登場人物の
心理や物語の核心をそこはかとなく反映することで、単なる雨粒は、語られぬ悲し
みや涙へと読者のなかで変貌するのである。ならば、わざわざ話者を借りて悲哀を
語ったり、人物に露骨な独白をさせるのは明らかに愚の骨頂であろう。これは比喩
の技術と似たようなところがあるけれども、こちらはあくまで余情を与えるような
雰囲気作りが目的であって、あまり手の込んだ仕掛けは必要ない。それよりかは、
いかにさり気なくかつしっかりと読者に情景をイメージさせられるか、表現の繊細
さシンプルさといった筆致に労力を注ぐべきだろう。そして読者の感情移入を妨げ
ないためにも、なるべく冗長な描写や無粋な説明は避けた方が好ましい。大事なこ
と、言いたいことはあえてぼかして描いてみせ、明確な答えではなく「なにか」を
匂わせ感じさせる。多分に書きすぎるよりは、少し書き足りないと思うぐらいで、
丁度よいのである。
 しかし、いくら簡素淡白がよいといっても、新聞報道に余情を感じる人はほとん
どいないように、単に事実や出来事を書き連ねただけでは情感に乏しい。心や風情、
自然や日常をしっとりと表現するところに余情の因子はあるのだ。

276 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:27
 さらに注意すべき点を述べれば、濃く強く激しい表現をなるべく排除し、露骨な
情動を避けつつ難解で錯乱した文章になってはいけない。かといって稚拙で軽薄
な文章ばかりでは刺激がなさすぎる。そして一番の問題が、「読者」という存在
である。
 余情をもたらそうと、どんなに書き手が汗水たらし、耳から脳汁が垂れそうな思
いをして必死に言葉を紡ぎだしても、最後は読者の感性に委ねられている。読者の
持つ経験、思想、知識に左右されることはもちろん、その時の気分なんてもので作り
手側の狙った余情など吹き飛んでしまうのだ。書き手は、そうした幻の読者を怖れな
がらも、一方でまた読者を信じて書くしかない。

 ちなみに喜怒哀楽という分かり易い感情を作品内で狙うのなら、対立の技法を駆使す
れば結構な効果が得られるし計算もしやすい。同じ感情操作でも、余情はあっさりと一
般化できない微妙な感情であるために、その表現に「深い」という言葉、意味が多く用
いられる。うまく言葉にできないが「とにかく、いい」と評されたら、まさに作家冥利
に尽きるというものだろう

277 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:29
 ここで私ごとではあるが、面白いエピソードを。

 『千と千尋の神隠し』が公開されて間もないころ、一緒に観にいこうと友人に
誘われた。映画が終わり、劇場を出た私はいい気分で余情感に浸っていると、そ
の横で友人はこうのたまわったのである。
「なにあれ、わけわかんねえ。俺的には今回はクソ」
 (゚д゚)ハァ?←私w そのあと彼は私のウンチクを小一時間ほど聞かされて、げん
なりするはめになるのだが、それでもやっぱり『千と千尋─』は「クソ」で決定ら
しい。これはどうも覆りそうもなかった。
 理屈じゃない。結局、余情だってそこに頼っているのだ。


278 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:31
 ちょっと今まで解説してきた技術とは勝手が違いますので、すぐさまこれを自分の
作品に取りいれるというのは難しいかもしれません。奇抜さや文体の妙で読ませる小説
にはまず向きませんし。
 それに、最終的な表現は個々人のセンスという問題になってしまい、黙説の技術だけ
で成り立つほど単純ではないんですね。当たり前といえば当たり前ですが、作品に感情
移入してもらわなければ余情もなにもないわけです。それには他の技術、表現力をも含
めた総合的な文筆力が試されるわけなんです。ちょろっと幽玄霊妙な小説でも書いてや
るかと、コンビニ気分で書ければ、芥川賞の選考も楽でしょうね。ま、本格志向はトレ
ンドじゃないのかな。私もよくわかりません。
 それでもなお、この種の叙情文の醍醐味を求めて止まない人には、「情」と「景」の
関係をしっかりと考えて書くことで、洗練さの部分では及ばないにしても、少しは見栄
えのよいものに仕上がるかと思います。

279 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:32
 読者に対して、書き手の不安や期待が伝わってしまうと、もうそこに自然な感動
は生みだされないとみてよいでしょう。特に文学好きの読者の目は肥えていますの
で、あざとさやいやらしさのほうが目についてしまうはずです。本の帯に「涙が止
まらない」なんてコピーがデカデカとあると、返って白けてしまう感覚ですね。
まあ、心がねじけていると言えなくもないのだけど。素直な心で大いに泣けるとい
う人は、こういった感覚を気にする必要はないかと思います。小説を楽しむには、
そっちのほうが幸せなんじゃないかな。

280 : ◆YgQRHAJqRA :04/02/16 19:38
 なんかちょこちょこ書き足していたら妙に長くなってしまいました。
もっと簡単にしないといけないね。
 次はいよいよ「視点」に関する技術です。

281 :名無し物書き@推敲中?:04/02/17 04:11
千と千尋のラストはたしかに感じるものがありました。
◆YgQRHAJqRA さんの解説を読んで、さらにジーンと来ました。
振り返っちゃいけないよ、というのはズルイですよねw

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